整体師かねこの日記
キリスト教(2010/09/16)【整体 名古屋 腰痛 偏頭痛 肩こり ぎっくり腰 ヘルニア 五十肩】
先日、キリスト教の元牧師の日本人の方と元宣教師のオーストラリア人の方と話す機会がありました。
この方達は、キリスト教の組織としての在り方に疑問をもち、今は個人的にキリスト教のよさを伝える活動をしていらっしゃるそうです。
ですから、いろんな意味で気軽にお話しをすることができました。
私自身は特定の宗教には属していません。ただ、整体をやっているうちに精神(ココロ)の仕組み、世の中の仕組みに興味が出てきて、それが、いわゆる宗教的な考え方に共感する部分はあります。
キリスト教はあまりにも大きな組織で、よく耳にするのですが、その内容を詳しく知る機会はありませんでした。ですから、今回は大変貴重な経験です。
実際に話しを聞いてみると、納得する部分と矛盾を感じるところがありました。
キリスト教の考え方には“原罪”という考え方がある。人は生まれながらにして、罪を背負っている。キリスト教の教えを信じること以外にそれが赦されることはないそうである。
これだけを聞くと恐怖感がわいてくる人は少なくないと思う。現にキリスト教会はこの恐怖心で人を操ってきたという背景もあると思う。
しかし、今回お二方と話しをして、少しキリスト教への考え方が変わった。
確かに、キリスト教のこの教えに人間の恐怖感を煽るという側面はあるのかもしれない。
でも、それは我々のココロに恐怖感というエゴがあることを表しているにすぎない。
”キリストの教えを信じる”
とは、その教えを受け入れるということ。ただ、そのまま受け入れる。
すると、キリスト教でいう“罪”も“罰”も受け入れるということ。
受け入れてしまえば、“罪”も“罰”ありがたいことであると気付くにいたる。
仏教でいう因果応報と同じなのかなぁ。
やっぱり、どんな宗教でも、根底にあるもの、“真理”は同じなんじゃないかなぁ・・・。
と考えるようになりました。
機会があったら、もっと深く話しあってみたいものです。
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